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    亀沢町は関東大震災の復興後、昭和4年〜8年の町名再編により生まれました。
    現在は北斎通り(かつては割下水通り、やっちゃば通りとも)と呼ばれる東西に延びる幅広い通りの南北に広がる町で、北は石原町、南は緑町、西は横網町、東は錦糸町に接しています。

     

    亀沢町のあたりは、江戸時代半ばにはすでに開けており、江戸切絵図と呼ばれる古地図には旗本、御家人の武家屋敷が多く見られます。
    四丁目の地域には、本所永倉町、本所長崎町、本所永岡町、本所清水町、本所三笠町(相生町とも)などの名も見られます。
    浮世絵画家の葛飾北斎、歌舞伎作者の河竹黙阿弥、落語家の初代三遊亭圓朝など、多くの文人も住んでおり、四丁目の竪川中学校のあたりは、勝海舟とならぶ幕末三舟の一人、江戸無血開城の道筋をつけた山岡鉄舟生誕の地と云われます。

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    人文社「幕末人物事件散歩」(1995)より引用・加工

     

    切絵図をみると、元々の亀沢町は現在よりもう少し南西に寄ったところ、現在の両国4丁目あたりにあったようです。

    当時の亀沢町は、勝海舟が幼いころ、父親勝小吉(かつこきち)と身を寄せていた男谷精一郎の道場があったことで知られています。

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    人文社「幕末人物事件散歩」(1995)より引用・加工